
万治元年(1658)に島津家の別邸として島津家19代当主の光久によって築かれた仙巌園は国の名勝に指定され、借景と呼ばれる技法を用い、桜島を築山、錦江湾を池に見立てた風景とおよそ1万5000坪の広大な庭園が特徴です。園内最大の見どころである「御殿」はかつて、薩摩藩最後の藩主・島津忠義が廃藩置県後にそれまでの鹿児島城から仙巌園に住まいを移し生活をしていたことでも知られ、島津家のみならず、篤姫や西郷隆盛も立ち寄ったともされています。また、忠義が1日の大半を過ごしたとされる「御居間」からは、桜島と庭園全体を見渡すことができます。
御殿では他にも、当主専用の浴室「御殿湯」や、30代当主・忠重が12歳まで使っていた部屋、中国文化である風水を取り入れた中庭などもあり、別邸時代の面影が今も残っています。ちなみに仙巌園という名前は、特徴のある岩が多くその景観が中国江西省にある龍虎山の仙巌と似ていることから名づけられたりと、日本と海外の文化を両方取り入れているのが仙巌園の特徴でもあります。
園内の奥に進むと、桜島を眺められるビューポイントがあるのですが、日豊本線の線路もしっかりと見えるため桜島をバックに走る列車を見ることができます。
ちなみに、日豊本線を電化するにあたり、仙巌園周辺は景観に配慮するため架線柱を通常よりも細い鋼管架線柱を採用、塗装も亜鉛メッキ仕上げにし、高圧配電線はケーブル式にして地表に敷設するなど苦心の跡が垣間見えます。
他にも園内には、大砲を造るために使われた反射炉跡、全国でも珍しい猫を祀った猫神社、園の隣には島津家の歴史・文化を紹介する尚古集成館などがあり日本の近代化を推し進めた薩摩の人々の想いが詰まっているように感じました。
仙巌園を後にし駅へ。
今年3月に開業したばかりの駅は1面1線の無人駅。券売機に簡易型のIC専用改札機が1台ずつ設置されており、すぐ目の前に錦江湾があることから波除け用のカバーが掛けられています。インバウンドの影響で外国人観光客が多く目立っており需要の高さを感じました。開業前はバスしかアクセス手段が無かったことを考えると駅が出来て正解と言ってもいいのではないでしょうか。
改善してほしい点としては、自動放送を詳細なものにしてほしい所で、列車接近時に単に上り、下り列車とは言うものの行先については一切放送が無かったので改善してほしいと感じました。実際、乗り間違えそうになった人もいたので・・・
鹿児島中央駅に向かうために乗車したのは普通鹿児島中央行き。817系4両で運転されていたものの、仙巌園駅で多くの人が乗車したこともあり混雑(私もその一人ですが・・)。鹿児島中央駅で下車し、ここからは新幹線で帰ることに。とはいえ、普通に久留米まで新幹線一本で帰るとはいかないのが今回の旅。新幹線や特急(西鉄を除く)は原則使えないのが「旅名人の九州満喫きっぷ」。なので今回は、鹿児島中央駅から新大牟田駅までは新幹線、そこからバスで大牟田駅まで向かい大牟田駅から西鉄で帰ることにしました。まずは「みずほ614号」で熊本駅まで乗車。川内、新水俣、新八代と途中の駅は全て通過し所要時間43分で熊本駅に到着。行きの時は途中下車したとはいえ熊本駅から鹿児島中央駅までおよそ5時間かかったのを考えると新幹線の速さに感心させられました。熊本駅からは「つばめ336号」で新大牟田駅まで乗車。新大牟田駅で下車したものの、降りたのは自分だけでホームには誰もいないという新幹線の駅とは思えないような光景でした。新大牟田駅から西鉄バスで大牟田駅まで向かい、大牟田駅からは西鉄電車に乗車。
大牟田駅に到着した時点では、特急はすでに運行を終了し残すは急行と普通のみに。大牟田駅で急行の表示を見るのは、私が入社して2ヶ月後に展望撮影で乗車した9000形以来ですが、3000形のような幕式の方向幕で見るのは今回が初めてでした。さすがに睡魔に襲われてしまい走行中はほぼ眠ってしまい気づいた時には花畑駅に着くころでした笑
花畑駅で下車して旅は終了。4部作にわたってお送りしました鹿児島日帰り旅行コラムもこれでおしまい。ご覧いただきましてありがとうございました!